halehina's blog

ハワイの伝統文化であるロミロミを中心に、ハワイを深く掘り下げていきます

古代ハワイの「アフプアア」は今どこに

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ハワイには、アフプアアという場所があります。
 
土地を山の上から海に繋がる縦のラインを全て含んだ空間を、
区切ることなくひとつのものとして機能する有機体のように捉え、
その中で自分たちもその一部となり生活をしていくことが可能な土地のことです。
 
先住民族の伝統的共同体として存在したアフプアアは、
一言で「土地」という風には表しきれない、大切な空間でした。
 
山に雨が降りそれが川となる。
流れ降りる水は、その過程で食料であるタロイモやフルーツを育て、
人がそこに暮らし、狩りや漁に出たりしていました。
川の水は最後には海へと流れ出て、豊かな生態系を保つ役割をしています。
そこには一区切りではなく、
ひとつらなりで生きている人々や動物たちの姿がありました。
 
そして現代。
ハワイに行ってアフプアアの姿を見ようとした時、
それは昔ほど容易には見つけることができないでしょう。
古くからの生き方を守り続けているハワイアンがいたとしても、
それが多くの人々も含めた共同体として存在するには、
開発・発展が進められた現代においては難しいような状況だからです。
 
 
私は今、神戸の都会に住んでいます。
街を歩いていると、たまにハッとさせられることがあります。
ビルの隙間に一瞬見える山の姿です。
その姿は圧倒的で、私にはとても大きな生き物のように思えるのです。
ビルの後ろには山がいる…呼吸をしながらジッとこちらを見つめているのです。
 
それに意識を集中させると、他の自然も見えてきます。
アスファルトの下には土がたっぷり、その下には水が流れている…
そうやってイメージしながら歩いていると、
私がいるこの街もかつては「アフプアア」であったことが分かります。
 
ですが、どうでしょう。
豊かな大地がこのコンクリートの下や隙間から見えているのに、
その恵みをダイレクトに頂くことがほとんど出来ていないのが現状です。
街では野菜やフルーツが生産されることはなく、
他の場所から生きる糧である食べ物を取り寄せながら、
私たちはこの土地で生活をしています。
 
身近で食べ物を育てない今、
コンクリートで覆った街で一体何が行われているのでしょうか。
 
ここでは、生活の周りに必要だと思われるものが供給されています。
洋服屋さんや雑貨屋さん、レストラン、観光も楽しめます。
会社では様々な取引が行われ、お金が動いています。
 
アフプアアが人々と暮らしの最小限のダイレクトな繋がりだとすると、
街は人々が豊かに暮らそうとする為の、少し間接的な動きです。
ただ日々を暮らすだけではなくより豊かになれるには、
という考えのもとに人々が作っていったシステムです。
では、そのイメージ通りにより豊かな生活は、
街によって手に入れることができたのでしょうか。
 
そこには、時間、お金といった観念が大きく関わってきます。
生きるエネルギーとしての物と、お金を同等としてやり取りしている現代。
お金を使うことによってそのエネルギーは、
保存がきいたり貯めたりすることはできるようになりましたが、
お金自体はシステムであってエネルギーそのものではないので、
例えばお金を食べて生きることはできません。
 
アフプアアで生きるには、自然の時間に合わせて動くことが重要となってきます。
何かを育てたり得ようとした時に、時間に逆うといい結果が得られないからです。
日が昇り沈む、その間にするべきこと、得られるエネルギーがあります。
 
ですが街では、時間に容易に逆らったり、
またはコントロールしようとまでしてしまっています。
そこに人類が抱えた課題「心身の不健康」の原因があるのではないでしょうか。
自然のリズムから人間が離れてしまった代償は大きいのです。
 
「アフプアア」、山から海までをひとつの有機体のように捉える考え方。
そこに一体化して住むことが、人々にどれだけ豊かさをもたらしてきたことでしょう。
だからと言って昔の姿に戻ることは難しいですし、
絶対的にお金が悪いという訳でもありません。
今あるものとの融合で新たなやり方を探していくことが、
現代に豊かさを見出す近道だと思います。
 
目に見えないアフプアアの姿をコンクリートの下に感じ、
意識しながら日々生きることができれば…
それだけでも「自分」という存在のあり方が少し変化していくのではないかと、
季節ごとに姿を変えていく山を見ながら想いを巡らせた冬の1日でした。